benri-navi by myhurt
#1300 Linda Lewis / Lark (1972)
02. Reach for the Truth
03. It's the Frame
04. Feeling Feeling
05. What Are You Asking Me For
06. Lark
07. Old Smokey
08. Gladly Give My Hand
09. More Than a Fool
10. Been My Best
11. Waterbaby
12. Little Indians

過去、当レビューでも何度か名前が出てきた事のあるブリティッシュ・ポップ/サイケデリック・ポップ・バンドのブロッサム・トゥズ。彼等は1967年と1969年に「We Are Ever So Clean」「If Only for a Moment」という優れ物のアルバムを発表した後に解散してしまったのだが、このバンドの中心人物だったのがジム・クリーガン(Jim Cregan)という、1946年イングランドはサマセット州ヨーヴィル出身の男。スタッドという、英フォーク・ロック・バンドの記事でも触れたのだが、ジム・クリーガンは1970年代の仕事としてはまずはスタッドのメンバーとしての仕事。スタッド解散後はファミリーというバンドに参加。あのジョン・ウェットンがキング・クリムゾン加入以前に参加していたバンドだ。更にファミリーの後にはストリートウォーカーズ(Streetwalkers)やスティーヴ・ハーレイ率いるコックニー・レベルを経て1977年にロッド・スチュワートのバック・バンドに参加。ここから随分長い間、ロッドの下で仕事をこなしていった。
おっといけない。ジム・クリーガンの1970年代の仕事で重要な部分を見逃してしまう所だった。英女性歌手リンダ・リイスのサポートである。ブロッサム・トゥズやファミリー、スタッド、コックニー・レベルなどのバンドの名前とリンダ・ルイスなんて、通常は接点なんかない筈なのだが、ジム・クリーガンは初期のリンダ・リイスにとって欠かす事の出来ない存在であった。それもその筈、リンダ・ルイスの売り出し当時、2人は恋人関係で後に夫婦にもなっている。さて、そのリンダ・ルイス。1950年、英ロンドンはウェストハムの生まれ。歌だけでなく作詞/作曲、ギターも演奏する。姉妹も存在。彼女の妹シャーリー・ルイスも歌手でエルトン・ジョンのバック・ヴォーカリストを務めていた人。1989年には「Passion in the Heart」というソロ作品も発表、当時「Realistic」「You Can't Hide」といったシングルをミニ・ヒットさせている。またディー・ルイスなる名前の妹も存在、1980年代の半ば以降だけでもかなりの数のアルバムにセッション参加を果たしているようだ。
#0819 Billy Paul / 360 Degrees of Billy Paul (1972)
2. I'm Just a Prisoner
3. It's Too Late
4. Me and Mrs. Jones
5. Am I Black Enough for You?
6. Let's Stay Together
7. Your Song
8. I'm Gonna Make It This Time

1970年代前半のソウル・ミュージック・シーンを席巻した黒人音楽の中心地の一つでもあったフィラデルフィアを発祥地とするフィラデルフィア・ソウル(通称フィリー・ソウル)。その中心的な役割を担っていたプロデューサーのケニー・ギャンブル(Kenneth Gamble)、レオン・ハフ(Leon Huff)が設立した黒人音楽レーベル、フィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)の記念すべき最初の全米1位シングル(ポップ・チャート&ブラック・チャート)を生み出したのが米ペンシルヴェニア州フィラデルフィア出身のR&B歌手ビリー・ポール(Billy Paul)でした。
マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロスなどの黒人スーパースターを生み出したモータウン・サウンドに憧れながらも、自分達のソウル・ミュージック・シーンを自分達の街から生み出そうとギャンブル&ハフはFMラジオなどに積極的にプロモーションを行うなど奔走、そのお陰でオージェイズやハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ、ビリー・ポール、スリー・ディグリーズ(遠い昔、スリー・ディグリーズが日本の音楽祭の為に来日した時の出演シーンを覚えている人も多いでしょう)などの人気アーティストを輩出する優良レーベルの一つにまで上り詰めます。