#1119 Robert John Godfrey / The Fall of Hyperion (1974)
2. Mountains
3. Water Song
4. Isault
5. The Daemon Of The World
I :The Arrival Of The Phoenix
II :Across The Abyss
III:The Daemon
IV :The Wanderer
V :IHS
VI :Tuba Mirum
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記録によれば1978年2月24日。私はある1枚の奇妙なタイトルが名付けられたプログレッシヴ・ロック作品を購入した。作品のタイトルは「太陽神ヒュペリオンの墜落」。現在発売されている最新の国内盤では「フォール・オブ・ハイペリオン」となんだか味気ないカタカナによる邦題になってしまっているが、当時のタイトルは「太陽神ヒュペリオンの墜落」。作品を発表したのはロバート・ジョン・ゴドフリーというアーティストである。このレコードを購入したキッカケはこのレコードが1500円という、当時としては非常に安い価格で販売されていたから。1枚でも多くの洋楽ロックのレコードを購入しようと考えていた。当時まだ10代の学生だった私にとっては1枚1500円という価格は非常に魅力的な企画として見えたものだ。ロバート・ジョン・ゴドフリーのソロ・レコードを当時発売したのは日本フォノグラムで確か”ユーロ・ロック・スーパー・コレクション”というシリーズ物の一環として発売されたものだったと思う。
日本フォノグラムからは他にジェネシス「フォックストロット」、アンジュ「新ノア記」、トレース「鳥人王国」、スティーヴ・ハケット「待祭の旅」、アフロディテス・チャイルド「イッツ・ファイヴ・オクロック」、ピーター・ハミル「フールズメイト」、ジェントル・ジャイアント「スリーフレンズ」といったレコードも発表され、良心的な価格に魅了された当時の私はこれらのレコードも購入したのである。日本フォノグラムは別企画として”ロック・スーパー・コレクション”の名前でピーター・ガブリエル、ロッド・スチュワート、レオン・ラッセル、10ccといった大物アーティストのレコードも1500円で発売するという、金なし学生にとってはなんとも嬉しい価格戦略を採っていたレコード会社だった。”ユーロ・ロック・スーパー・コレクション”のお陰でアフロディテス・チャイルドやアンジュ、ジェントル・ジャイアント、トレース、ピーター・ハミルとったアーティストに初めて巡り合えた、という音楽ファンは当時少なからず日本に大勢存在した筈である。
一般的にはクラシカルなシンフォニック・ロック・バンド、エニド(Enid)のメンバーとして知られるロバート・ジョン・ゴドフリーだが、彼がロックのフィールドに初めて顔を出す事になるのはエニド結成より更に遡って1960年代後半の事だ。実は1966年に英ランカシャーで結成されたバークレイ・ジェイムス・ハーヴェスト(以下、BJH)というロック・バンドの初期の活動にロバート・ジョン・ゴドフリーは一時深く関わっていた事がある。1947年生まれのゴドフリーは幼少の頃から音楽に興味を持ち、少年時代にはクラシック音楽の勉強を専門的に受けた人だが、1968年12月7日にロンドンのラウンドハウスで行われたハード・ロック・バンド、ガンの公演をサポートしたデビュー間もない新進気鋭のバンドであった BJH の音楽を聴いて衝撃を受けて以降 BJH と活動を共にするようになる。英国王立音楽大学で専門的にクラシック音楽を学んだ人だったが、BJH の音楽が彼をプログレッシヴ・ロックの道に進ませる事になったのだ。
BJH は当時パーロフォンからシングルを発表しただけの存在、そしてゴドフリーは当時まだ学生という身分だったが、将来性のある両者が互いに惹き合うのも無理からぬ話。大学でクラシック音楽を学んでいたゴドフリーは BJH の音楽を聴いて何かを感じ取ったのだろう、BJH の為にオケのスコアを書き、更にBJH のためにペの手配も約束するとBJH 側に申し出る事でゴドフリー&BJH の蜜月関係が出来上がるのだった。で、BJH はEMI傘下のハーベストと契約を結んで1970年にノーマン・スミスのプロデュースによる最初の作品「Barclay James Harvest」を発表する。勿論オーケストラの指揮はゴドフリーが担当した。更にゴドフリーは音大生からなる"Barclay James Harvest Orchestra" を結成して BJH のツアーに同行しオケの指揮も担当した。かつてエマーソン・レイク&パーマーがキース・エマーソンのエゴを満足させる為にツアーにオケを同行させて結果的に失敗したという”事件”がロック界には存在する。ゴドフリー&BJH はELPより7年も早くこれを実現させてしまった事になる。
音大生を中心にオーケストラを構築したのも当然の事ながら費用を少しでも浮かす事が狙いだったと思うが、アルバム・デビュー間もないバンドがオーケストラを帯同させてツアーを行うのはやはり無謀な話だったようで、やはりゴドフリー&BJH の場合も音楽的な評価は兎も角、商業的な成功を収める事は当時できなかったらしい。しかしそれでも両者の関係は今暫く続くのである。年があけた1971年に発表された通算2作目となる「Once Again」でも再びオーケストラの指揮をゴドフリーが担当するのだが、両者の関係は残念ながらここまでだった。当時ゴドフリーは BJH の正式メンバーとして迎えられる事を望んでいたようだが、ゴドフリーを雇った BJH のマネージャーのジョン・クラウザーから契約を打ち切られるという仕打ちを受ける事になる。バンドをポップな方向に導こうとするマネージャーにとってクラシカルなスタイルを重視するゴドフリーのスタイルは既に邪魔な存在でしかなかったのかもしれない。




■ Robert John Godfrey - Keyboards, Music, Directed
■ Christopher Lewis - Vocals, Lylics
■ Neil Tetlow - Bass
■ Jim Scott - Guitars
■ Nigel Morton - Hammond Organ
■ Tristan Fry & Ronnie McCrea - Percussions
■ Neil Slaven - Produced
ハーヴェストや BJH のマネージャーから見捨てられたロバート・ジョン・ゴドフリーだったが、捨てる神あれば拾う神あり、ゴドフリーの音楽に興味を持ったカリスマ・レーベルのスミス社長が彼とレーベル契約を結ぶ事に興味を持つのである。カリスマは1970年代前半にレア・バード、ジェネシス、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター、リンディスファーンといったアーティストと契約を結んで彼らの成功を手助けしたレーベルとしても知られている会社。新人アーティストの青田買い、プログレ系のアーティストの発掘にカリスマ・レーベルが熱心だった事がゴドフリーにも幸いした。カリスマと契約を結んだゴドフリーは早速ソロ作品制作を計画、1973年の秋からスタジオ入りして当時としては画期的なマルチ・チャンネル録音技術を駆使して初のソロ作品を完成させる。それが「The Fall of Hyperion」である。まさに英国ならでは、といった美しいシンフォニック・ロックの名作として昔から語り尽くされているアルバムである。
ロバート・ジョン・ゴドフリーの最初のソロ作品のタイトルは「The Fall of Hyperion」(フォール・オブ・ハイペリオン)。録音は1973年の9月から11月にかけて行われ、1974年に発売された。当時の邦題は”太陽神ヒュペリオンの墜落”。1978年当時、このレコードを初めて手にした時にはなんの意味だか判らなかったが、ヒュペリオン(またはハイペリオン)とはギリシャ神話に登場する神の名前でティタン神族の1人。高みを行く者という意味。ウラノスとガイアの間に生まれた息子で別名太陽神ともいう。また彼の子供にヘリオス、セレネ、エオスがいる。こんな事を書いてもゴドフリーの音楽を解く鍵にはならないが、神話に興味を持って自作の最初のソロ作品のテーマに古代ギリシャの神話や伝説を持ってきたことから(エニド結成後も彼は聖書に登場するキーワードを度々登場させている)、彼が宗教学・神話学・民族学・文化人類学的な分野に若い内から興味を持っていた事が伺い知れる。
このレコードを初めて購入した1978年の前年の1977年に既に私はセックス・ピストルズやストラングラーズといったパンク・ロックを聴き始めていたので、正直言って当時の私の感想は”?”の一言。勿論、当時既にピンク・フロイドやイエス、エマーソン・レイク&パーマー、ジェネシスといったプログレッシヴ・ロック系アーティストの主要な作品は聴いていたが、「The Fall of Hyperion」は当時の私には正直ピンとこなかった。ずばり当時の私には本物の交響曲(シンフォニー)に対する免疫がなかったからである。イエスやキャメル、ジェネシス、キング・クリムゾンといったアーティストの作品にも勿論シンフォニックな色彩はあるのだが、彼等の根底にあるのはまずはロックである。ロック・バンドのアンサンブルをベースにシンフォニックなアレンジやクラシカルなメロディ、或いは通常ロックの世界では導入されないような楽器を加える事でシンフォニック・ロックというスタイルを構築するのがプログレッシヴ・ロック系アーティストのやり方。
言葉は乱暴だが、大半のシンフォニック・ロックとはクラシック音楽の上っ面の表面的な印象部分を間借りしてきたなのだ(プログレッシヴ・ロックの”プログレッシヴ”という言葉に対する解釈論はここでは書かない)。だが、クラシック音楽を専門的に学んできたロバート・ジョン・ゴドフリーは違った。ブルースやR&Bなどの黒人音楽のコピーを演じながら、暗中模索の結果、自らの音楽にクラシカルなスタイルを導入してシンフォック・ロックというスタイルを確立させていった旧態依然のプログレ系アーティストの連中と異なり、ロバート・ジョン・ゴドフリーはロック・ミュージックの世界に自己が理想とする交響曲の完成を見出したのである。数年間のみの付き合いだったが、彼が BJH の音楽に魅入られたのも BJH のメロディアスで優しい音楽の向うに自分が理想とするシンフォニーの完成の可能性を感じたからであろう。そう意味で、彼はロックの世界に身を置きながらも依然としてクラシック音楽の世界観を失ってはいなかったのである。
後にエマーソン・レイク&パーマーのキーボード奏者であるキース・エマーソン、そしてポール・マッカートニーやビリー・ジョエルが本格的なクラシック音楽の世界に足を踏み入れてはいるが、1974年の時点でクラシック音楽の世界をここまでロックのフィールドで再現して見せた例は他にはあまりない。「The Fall of Hyperion」はロック・ミュージックを土台にしてシンフォニックな要素を加えてみた音楽ではなく、言うなればオーケストラの為に書かれたシンフォニーをロック・ミュージックのフィールドで再現しているだけで、間借りされているのはロック・ミュージックの方である。玄人筋から高い評価を受けたにも関わらず”ロック”を期待していた市場から殆ど無視されたのも無理はない。本作にはギタリストもベーシストもオルガニストもパーカッショニストも参加しているが、彼らの役割はリズムを刻む事ではなく、単にオーケストラの中の一員としてしてしか役割を与えられていない。
本作には5曲が収録されているが、事実上5部構成のロバート・ジョン・ゴドフリー指揮による一風変わった交響曲第一番 副題”太陽神ヒュペリオンの墜落”という解釈するのが本作を理解する早道なのかもしれない。しかしながら不幸な事に、異なるジャンルの垣根を越えたこうした傾向の作品は概してクラシック音楽の世界からもロックの世界からも無視される傾向にある。イエスやジェネシスのように土台がロックにあれば、まだロック・ファンに受け入られる要素はあったと思うが、プログレッシヴ・ロック全盛の当時でさえ「The Fall of Hyperion」は当時としては余りに突飛過ぎたのである。ビジネスの世界で異業種間交流が叫ばれて久しい現代でもなお、ロバート・ジョン・ゴドフリーのような試みは無視される傾向にあると思う。過去の作品は設立されてまだ日が浅い WHD Entertainment の計らいによってようやく一般の洋楽ファンの目の届く範囲になってきたが、ロバート・ジョン・ゴドフリーの音楽が今以上に評価を上げる余地はまだまだ充分にあると思う。
正真正銘のロック・バンドである BJH との交流という経験があったからなのか、プログレッシヴ・ロックやシンフォニック・ロックのファンの方にも安心してお奨め出来る心地よい叙情性や聴き易さがある事は最後に付け加えておく。





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