#1154 エルザ / Half & Half (1975)
02. 三つの夢
03. 愛すべき世界
04. ウェディング・ベル
05. 愛せない事情
06. 天才少女よ 今のうちだ!!
07. さよなら ひとつ
08. 悪意の天使
09. 唄は私の小さな人生
10. 父よ
11. 父よ (single version)(Bonus Track)
12. エルザのテーマ(Bonus Track)

現在日本の殿方の間で人気の混血美女といえばリア・ディゾン(Leah Dizon)。1986年米ネバダ州ラスベガス出身の彼女は米国でのモデルやRQの仕事を経て、現在日本の芸能事務所に所属して日本で芸能活動を展開している。彼女はフランス系アメリカ人の母と中国系フィリピン人の父とのハーフ。人種や国籍の異なる両親から生まれた子供を混血児と書くが、英語圏ではミックス、我が日本ではハーフ、片親がハーフの場合だと生まれた子供はクオーターと呼ばれる。ハーフ若しくはクオーターの有名人といえば加藤ローサ、沢尻エリカ、OLIVIA、観月ありさ、安良城紅、アン・ルイス、アンジェラ・アキ、辺見マリ、大石恵、ヒロコ・グレース、フリーディア、リサ・ステッグマイヤー、瀬戸カトリーヌ、黒木メイサ、森泉、滝川クリステル、政井マヤ、桐島かれん、木村カエラ、などの名前が浮かぶだろう。
こうした人達に共通する事といえば、”スタイルが良い”、”美人”、”華がある”等々。華があって美人でスタイルが良いからモデルやショービジネスの世界を経験する人も多い。ハーフを売り物にする芸能人や歌手といえば決まってエキゾな雰囲気を持つ美しい顔立ちの美女が脳裏に浮かぶ。男性からは勿論、恐らく女性からも羨望の眼で見られるだろうし、例えばヒロコ・グレースみたいな娘に生まれていたらどんなに楽しい人生を送れるだろうか、と憧れる女性も少なくない筈。昭和30年代生まれの私にはハーフという言葉から差別的な意味を感じる事はないが、1990年代以降、『ハーフ』という言葉に差別を感じる人達の間で呼称を見直そうという動きもあるみたいだが、そうした問題は兎も角、リア・ディゾンの例を出すまでもなく、ハーフ、特に日本人(若しくは亜細亜人)と白人と血を受け継ぐ女性には昔から私達日本の男を悩ます独特の色香があるのだ。
かつて我が日本の音楽界にはエルザ(Elza)という名前の女性がいた。エルザという名前をインターネットで検索しようと試みると、それこそ雨後の筍の如くひっかかって始末に終えないのであるが、エルザは1970年代の我が日本の音楽シーンで一時期活動を展開していたスマートな美貌の女性。いや、歌手は正直副業だったのかもしれない。エルザの本名はエリザベス・ゲドリック。1957年6月25日、福岡県出身。父はポーランド人で母親が日本人。国籍は当時米国だった。所謂コーカソイド(白人)とモンゴロイド(黄色人)とのハーフ。美しい顔立ちを生かして1971年頃から地元九州でモデルの仕事を開始、周囲の薦めかそれともスカウトされたかは定かではないが、1972年に上京、そしてその後日本のインディーズ・レーべルのはしりエレック・レコードと契約を結んで1973年10月25日にエレックの傘下レーベル”愛”から末永明輝の作詞/作曲、荻原暁/萩田光雄の編曲によるデビュー・シングル「山猫の唄」を発表した。
ちなみにデビュー・シングルのB面は作詞/編曲:荻原暁、作曲/編曲:萩田光雄による「生きがい」(注;「山猫の唄」は2007年5月26日発売のコンピ盤”「悪なあなた~歌謡番外地」”に収録)。モデルが本業だったのか、それとも地方から適時上京して芸能活動を適時行うのが主だったのかは判らないが彼女の活動は何故か2年置き。エレック時代はこのシングル1枚のみでこの後彼女はトリオ・レコードに移籍している。若い人には判らないだろうが、トリオとは現ケンウッドの旧社名でピュア・オーディオの時代には個性的なステレオアンプやチューナーを発表していた家電メーカーのこと。トリオ・レコードはそのトリオが設立した音楽部門で傘下レーベルに1973年に設立されたニューミュージック系レーベルのショーボート・レーベルが存在していた。吉田美奈子や久保田麻琴と夕焼け楽団、西岡恭蔵、憂歌団、所謂寺山修司/天井桟敷関連の作品を沢山生み出したレーベルとしても知られている。

■エルザ- 歌
エルザは移籍先のトリオでまずはシングル「父よ / エルザのテーマ」を1975年4月に発表。A面曲の歌詞は真理アンヌが、作曲はエルザ本人が手掛けた。B面曲は作詞/作曲を共演者があるもののエルザ本人が手掛けたという力の入れよう。綺麗なだけが取り柄の飾り物の歌手ではない所を見せたかったのだろうか。そして半年後の11月に待望のフル・アルバム「Half & Half」が発表されたのだった。全10曲。この後の活動はまたしても2年後の1977年。今度はビクターSF(ソウル・フィット)に移籍してシングル「1957年 / ミスター・スカイ」を発表する。この作品も作詞はエルザ本人が手掛けた他、四人囃子の茂木由多加が「1957年」の作曲と「ミスター・スカイ」の作曲/編曲を、佐久間正英が「1957年」の編曲を担当した。シングルが発売された1977年2月の翌月の3月には同レーベルから通算2作目となる「ポップコーンと魔法使い」が発売されている。
「ポップコーンと魔法使い」は2006年12月にビクターSFの復刻企画の一環としてオリジナルに準じた紙ジャケット仕様にて再発されている。この紙ジャケットCDも私は購入したが、前年の1976年に和製ロックを代表するプログレ作品「ゴールデン・ピクニックス」を発表した”プリンテッド・ジェリー”期の四人囃子のメンバーがサポートを担当した作品であるが、育ちの良いハーフのお嬢さん風の容姿を持つ主役のエルザのイメージを損なわないよう、四人囃子のメンバーはあくまでもサポートに徹している。お仕事に徹して脇役の立場から一歩も足を踏み出していない為、四人囃子目当てに買う作品ではないかもしれないが、1970年代の日本のロック・バンドを代表する一流バンドのサポートを受けた作品である為か、その辺のアイドル・ポップスとは少々品が異なる点だけは強調しておきたい。これで御しまい。2年後の1979年に復活する事もなくエルザは音楽シーンから消えてしまった。恐らく故郷の福岡に帰って煌びやかな生活とは無縁の人生を送っているのだろう。今でも。
今回取り上げるエルザのデビュー・ソロ作品「Half & Half」は1975年にトリオ・レコード(当時)から発表された作品で、「ポップコーンと魔法使い」より先に新生ショーボート(SKY STAION) にて2000年の時点で既に紙ジャケット化済み。今回取り上げる紙ジャケットはその2000年盤物で当時のオリジナル・レコード収録曲10曲に加え、「父よ」のシングル・ヴァージョンとシングルB面曲でアルバム未収録だった「エルザのテーマ」を加えた12曲仕様。作品のプロデュースは当時の彼女のマネージャーでもあった井上伸男。アイドル、若しくはモデル上がりのアイドル然としたカワイ子ちゃん歌手の作品によくありがちなカバー曲中心の構成ではなく、エルザ(作詞/作曲)、井上伸男(作詞/作曲)、龍(作詞/編曲)、真理アンヌ(歌詞)、カオル(作曲/編曲)、古谷充(編曲)、畠山明博(編曲)、上田力(編曲)といった人達が力を貸した堂々たるオリジナル作品に仕上がっているのが特徴だ。
本CDはデジタル・リマスタリング仕様で見開き紙ジャケット仕様。発売元は需要があればプレスするレコード会社のようで?7年前の紙ジャケ商品であるものの時々ネットの通販サイトで捕まる事がある。彼女の作品には「ポップコーンと魔法使い」があるが、内容的にはずっと「Half & Half」の方が良いと思う。オリジナル中心の曲は彼女が当時18歳のティーンだったとは到底思えない大人びた雰囲気があるし、バックの演奏も歌謡曲の域を越えたしっかりした演奏が行われているのが特徴で、軽い演奏に終始するライトタッチの「ポップコーンと魔法使い」とは実に対照的。日欧の混血美女という先入観があるからだろうか、彼女の歌からは年齢を感じさせない落ち着いた色気を感じるのが特徴。歌唱力が抜群という訳ではないが、一生懸命に歌おうとする姿勢は30年の時を越えて今の私達にも届くのだから音楽って素晴らしい。ちなみに作品のトーンはしっとり系のアメリカン・ロック・スタイル。
ブルースやロックンロール、カントリー、フォーク、ジャズなどのエキスを散りばめた、適度にレイド・バックしたサウンドはバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレープの影響を受けた細野晴臣や大瀧詠一、鈴木茂らによる はっぴいえんど が1970年代の日本のロック・シーンに齎した影響からの間接的な影響を感じる事も可能だろう。フリー・ソウル風の味わいも感じられるので、1970年代を知らぬ若い世代の音楽ファンにも受け入られる可能性もある。南こうせつを思わせる所謂ニュー・ミュージック路線の音楽もあるし、フォーク・ロック仕立ての音楽もあるが、1970年代の日本のロック/フォーク・シーンを全く知らずとも充分に楽しめる魅力が本作には一杯詰まっている。ボブ・ディランからニルソン、バッファロー・スプリングフィールド、果てはTレックスまで。彼女の趣味か周囲の趣味かは知らないが、タレントによる通一遍の急場の間に合わせの作品の類とは明らかに一線を画する質の高い音楽作品といえる。これは買いだ。