#1155 四人囃子 / 一触即発 (1974)
2.空と雲
3.おまつり(やっぱりお祭りのある街に行ったら泣いてしまった)
4.一触即発
5.ピンポン玉の嘆き
6.空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ (Bonus Track)
7.ブエンディア (Bonus Track)

昨今日本のクラシック・ロックの評価が目覚しいようだ。洋楽ファンからこれまで何かと見下されてきた日本の音楽シーンであるが、冷静になって眺めてみれば確かに日本のロック・シーンの立ち上がりは諸外国に比較して非常に遅く、それに欧米ロックのスタイルの模倣に終始するケースも多々あり、洋楽ファンから見下されても仕方のない面もあったとは思う。そんな日本ではあったが、音楽シーンの中からもキラリと光るロック・バンドが登場しなかったといえば嘘になる訳で事実多くの日本のロック・バンドが生み出した作品の中には時代の壁を超えて音楽ファンから長い間支持され続けてきた作品も沢山存在する。GSブームの終焉と交代するかのように登場した、1960年代末の時点で注目すべき日本のロック・アルバムもない訳じゃないが、やはり日本のロック・シーンの本格的は1970年代以降と言っても差し支えはないだろう。
四人囃子は1970年代前半に本格的な活動を開始した日本初の本格的な伝説的ロック・バンド。コスモス・ファクトリー、ストロベリー・パス/フライド・エッグ、ファー・イースト・ファミリー・バンド、サディスティック・ミカ・バンドら、1970年代の時点で洋楽ファンからもその実力を認められていた、これら日本のバンドの中にあっても四人囃子はその高い演奏能力と楽曲の構成力で他の同世代の日本のロック・バンドの一歩も二歩も先を行く高い音楽性を誇っていたバンドであろう。1970年代当時、日本のロック・バンドなんて全く興味も覚えなかった私でさえ四人囃子の名前は知っていた位だから、私よりもっと上の世代のロック・ファンからはもっと高い評価を受けていた筈だが、当時は欧米のロック、特にブリティッシュ・ロックこそロックの頂点というステレオ・タイプな見方が広く一般に浸透していた為、日本のロック・バンドを正面から評価する事に気恥ずかしさを感じていた人も少なくはなかった筈だ。
中村真一の脱退&佐久間正英の加入劇を経て、シングル「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」を発表、そして茂木由多加がバンドを脱退した後、四人囃子は改めてCBSソニーへと移籍、オリジナル作品としては通算2作目にしてこちらも日本のロック史に残る「ゴールデン・ピクニックス」を発表する事になるが、バンドの看板的存在だった森園勝敏の脱退劇に遭遇してしまう。解散の事態も想定されたが、残されたメンバーは佐藤ミツルを新ギタリスト&ヴォーカリストに迎えてバンド最大の危機を乗り越える事に成功する。佐久間正英をサウンド面における新リーダーとした新生四人囃子はキャニオン(現ポニーキャニオン)に移籍して「PRINTED JELLY」「包(bao)」を発表、1979年にはニューウェーヴの時代/テクノポップの到来を背景とした「NEO-N」を発表するが、バンドはこれまでだった。解散後、元メンバー達はそれぞれ自己の音楽活動を展開するが、1989年に四人囃子は佐久間、岡井、坂下の3人で10年ぶりとなる新作「DANCE」を発表して健在ぶりを見せ付けた。
■森園勝敏 - Lead Vocals, Acoustic & Electric Guitar, Hand Claping
■中村真一 - Bass, Pedal Bass, Backing Vocals, Hand Claping
■岡井大二 - Drums, Percussion, Hand Claping
■坂下秀実 - Acoustic & Electric Piano, Organ, Mellotoron, Mini-Moog, Hand Claping
■末松康生 - 作詞
四人囃子は日本の本格的なロック到来を語る際に決して外す事の出来ない存在。ロックはおじさんの音楽となって久しい今の時代感覚からすれば理解出来ないかもしれないが、1970年代当時、日本ではロックはまだまだまだ不良の音楽として世間一般から眉を顰められる音楽でもあった。勿論今でもそうかもしれないけどね。1970年代の前半、私の中学時代にも学校の文化祭でロック・バンドを組んでビートルズやディープ・パープルの曲をコピーして演奏していた兵な連中もいたが、彼等のような存在は当時の日本ではまだまだ異端児扱いを受けていたのである。私の中学では当時、お昼の給食の時間帯に構内放送で音楽を放送する許可が学生には許されていたが、ELPやポール・マッカートニー&ウィングスといったロックの類に属する音楽は常に先生から不許可だった(ちなみにカーペンターズのようなソフトな音楽はOKだった)。こんな状態は日本全国恐らく何処でもそうだった筈。
1970年代の前半~中盤でさえ日本全国こんな状況だったのだから、私より年長の森園勝敏、中村真一、岡井大二らが学生の身分で耳障りな洋楽ロック・スタイルによる音楽を演奏し始めた時はさぞや大変な状況だったに違いない。四人囃子「一触即発」はいうまでもなく、当時の日本のロック・シーンを代表する名盤にして、本格的なロック到来とはいかなかった黎明期時代の日本の音楽シーンに多大な衝撃を与えた作品として今では充分過ぎる位の評価を得ている作品である。青春時代にビートルズやレッド・ツエッペリン、アル・クーパー、ジョニー・ウインター、サイケデリック・ロック/アート・ロックの類、或いはハード・ロックやプログレッシヴ・ロックを聴いて成長し、こうした音楽を自らの音楽の基盤とした四人囃子による音楽は四人囃子以前の音楽とは明らかに一線を画すもの。今改めて聴き直せば一聴して判るとおり、歌詞が日本語であるという事を差し引けば、音楽スタイルは欧米のロックとなんら変わりはない。
1974年に東宝レコードより発表された「一触即発」のベースとなった音楽は欧米、特に英国のハード・ロックやプログレッシヴ・ロックからの影響が顕著で、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、E.L.P、キング・クリムゾンを彷彿とさせるエキスがちらほら。中にはまんまパクリとも思える場面もあってニヤリとさせられる場面もあるが、いずれにせよ当時の日本のロックの水準を遥かにぶっちぎった作品である事には間違いない。特に驚くべきは録音技術もさる事ながらメンバーの演奏テクニック。デビュー作を発表するまでにライヴハウスで数多くのギグをこなしてきた実績もあったとは言え、この力量は半端ではない。簡単に曲に触れてみたい。「一触即発」のイントロとも言えるプログレッシヴな「ハマベス」からアルバムは「空と雲」に流れていく。曲調はウェストコースト・ロック風だが、抑揚を抑えた森園の歌声と坂下によるフュージョン風のエレ・ピアノの効果もあってか、作品全体の印象にクールで知的な印象を与える事に成功している。
「おまつり」も前曲同様、クールな印象を与える楽曲で当時の音楽界を席巻していたフュージョン風のイメージも連想させるが、幻想的な空間はピンク・フロイドのそれも仄かに連想させる。ハモンド・オルガンの音色も1960年代後半から1970年代前半にかけての洋楽ロックを知る音楽ファンには抵抗なく受け入られるものだ。中間部分ではディープ・パープルを彷彿とさせる。「一触即発」はタイトル曲。ユーライア・ヒープを思わせるタイトでアグレッシヴな演奏から始めるハードなナンバー。1曲の中にレッド・ツェッペリンやユーライア・ヒープ、ピンク・フロイドのエキスを盛り込んだような曲でもあり、メンバーの誰もが当時こうしたブリティッシュ・ロックにほれ込んで聴き込んでいたが判る作品と言えよう。中間部分の変拍子な演奏は本作から5年も先のレコメン系ムーブメントを先取りしたかのような斬新な演奏で、洋楽ロックのコピーの領域すら凌駕している画期的な演奏であると言える。本作における最大の聴き所の一つ。
「ピンポン玉の嘆き」はオリジナル・アルバムにおける最終曲。まるでピンク・フロイドとキング・クリムゾンとジェネシスが融合したかのような空間を思わせる幻想的な曲でもある。エキスはブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックからの借り物だとはいえ、贋作バッタ物にありがちな未消化な部分は微塵も感じられず、四人囃子独自のオリジナリティとして完成しているのが見事だ。そして本作にはボーナス・トラックが2曲。1975年当時シングルのみで東宝レコードから発表された「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ / ブエンディア」全2曲が収録されている。A面曲「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」はプログレッシヴ・ロック然としたサウンドにポップなエキスを導入したシングル曲で、1970年代末以降のプログレッシヴ・ロック・シーンが目指した方向性すら示唆した時代先取りな佳作。B面曲「ブエンディア」は坂下秀実&茂木由多加のツイン・キーボード体制となったメンバー編成が生きたキーボード・サウンドを重視した軽快なフュージョン・ナンバー。
『日本のロックなんて』と未だに和製ロックをバカにする人にこそ薦めたい、日本のロックの歴史に燦然と輝く金字塔。アルバム1枚だけで消えていった欧米ロックの掘り出し物を買う前に、「一触即発」をまだ持っていない人はまず先に小遣いをこちらに投入すべき。