#1182 浅丘ルリ子 / 浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓 (1969)
02. 流れる雲
03. 水色の季節
04. お願い帰って
05. はだしの二人
06. 愛しつづけて
07. 愛の化石
08. 女がひとり
09. 愛はひとすじ
10. 愛の残響
11. シャム猫を抱いて
12. 別れましょう

女優。女性の俳優。女役者。舞台やテレビドラマ、映画などで演技をする女性のこと。所謂芸能人と呼ばれる人達だ。脚本家が書いたシナリオを元に役になりきって演技をする人の事で、実際の自分と似た性格の女性を演じるだけでなく、時には自分の性格と全く異なる性格の女性を演じる事もある。お国柄や個々の女優の性格にも影響されるだろうが、役になりきって実際の自分とは異なる女性を見事なまでに演じきる女優と呼ばれる人達の演技力には敬服せざるを得ないと常日頃から思っている。なかにはセリフ棒読みのモデル上がりの美人エセ女優も芸能界には少なからず存在するようだが、存在そのものに一般人には及びもしない華があると思えばそれ程腹も立たないのが個人的な心情だ。女優が活躍する場としては、まずは映画、そして舞台、テレビドラマなど。人によってはバラエティー番組に登場して映画やドラマでのイメージとは異なる意外な一面を見せて思わぬ人気を獲得する人もいるだろうし、多芸な人なら歌や司会、作家活動、絵画といった分野で活躍する人もいる。
また、女優といっても美貌やスタイル若しくは内面から滲み出るオーラを生かして主役をはるトップ女優もいれば、個性/キャラクターを生かした演技派女優、バイ・プレーヤーとして主役や物語を引き立てる端役女優、いじわるでクールなイメージを利用した悪女役、老け役、コミカルな魅力を生かした喜劇女優、など実に様々である。グラビア上がりのセクシー系女優やアダルトビデオの女優も『演技をする』という意味において、広義な解釈から女優と括ってもいいかもしれない。いずれにせよ、脚本に描かれた空想上の架空女性の性格描写を熟考してリアルな演技を見せてくれる彼女達の演技には甚だ感服せざるを得ない。自分の場合、初めて意識した女優さんというとテレビドラマ、勿論子供向けの特撮物だが円谷プロ制作のウルトラ・シリーズに出演してた女性隊員だろうか。そうすると桜井浩子さん当りが最初だろうか。当時の自分の心の内なんて覚えていないが、ただ、テレビや映画に出演していた女優さんに恋心にも似た心境を覚えたのはもっと後だろうか。
日活映画でデビューを飾った浅丘ルリ子はその後も日活で活躍、当初の少女役から大人の女性を感じさせる女優へと転進、特に日活の看板スター、”マイトガイ”小林旭や故・石原裕次郎の相手役を多く務めて高い人気を獲得する。1960年代に入って演技派女優としての地位と名声を獲得した。これまでの芸能生活の中で主だった受賞歴と言えば、ゴールデン・アロー賞大賞、キネマ旬報主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などがある。2002年にはそれまでの功績が認められ紫綬褒章を受賞した。車寅次郎を演じた渥美清主演による『男はつらいよ』シリーズのマドンナ役(リリー)も印象に残る。私は今年で会社勤め20ウン年だが、会社の慰安バス旅行で『男はつらいよ』は何度見せられたか記憶にないが、浅丘ルリ子は第11作、第15作、第25作、第48作と、マドンナ役として最多の4本に出演している。1950年代半ばから現時点に至るまで、老若男女を問わず日本のあらゆる世代の人に感動を感銘を与えてきた大女優の一人と言えるだろう。


■ 浅丘ルリ子 - 歌
既に今年で芸歴50年以上、出演した映画だけでも150本以上という凄まじさだが、実は彼女、当初は歌手志望。中学生時代に日活映画のヒロイン役のオーディションでデビューを飾ったのだが、歌手としても結構な枚数のシングルを発表している。小林旭主演『高原児』(1961年)の劇中挿入歌という形式で歌が披露されていたのだが、最初に公式にシングルが発表されたのは1963年。朝日ソノラマから登場した「悲しみよさようなら」というソノシートに続いて「丘は花ざかり」というシングルが発表されている。その後も「夕陽の丘」「霧に消えた人」「別れのビギン」「教えて教えて」「伊豆の虹」「思い出は小雨に濡れて」「東京さすらい歌」「明日も愛す」「東京の灯」「姉弟」「湖畔の慕情」「山の湖」「島原地方の子守唄」「流れる雲」など、数多くの曲を吹き込んでいる。今回のレビューは紙ジャケットCD「浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓」を取り上げるのが主旨なのだが、調べるに当ってそれまで自分が知らなかった浅丘ルリ子さんの歌手としての過去の足跡を知るに至った。
勉強不足とはいえ、こんなにも沢山の曲をテイチクに残していたなんて知らなかった。今では1960年代の音源は2003年にテイチク・エンタテインメントから発売された2枚組CD「浅丘ルリ子60’sレコーディング・マスターズ」で聴く事が可能なようだが、これも彼女が1960年代において日活を代表するドル箱女優として高い人気を観客から得ていた事の証であろう。恐らくは吹き込んだ曲の殆どが当時制作された日活映画とのタイアップ曲ばかりだと思うが(1960年代当時の日活のスター俳優の石原裕次郎や浜田光夫とのデュエット曲もある)、それにしても驚きだ。 予断だが石坂浩二との離婚後に交際が公にされている大衆演劇俳優の松井誠とのデュエット曲「夢心中 / 旅空恋次郎」(作詞/作曲:野村みき/美樹克彦、作詞/作曲:高田ひろお/美樹克彦)が日本クラウンから2004年に発表されているが、これは当人にとって凡そ35年ぶりの音楽作品となった。松井誠とは親と子程も離れているが、これも立ち上がれる限り”女優”として生きていこうとする証でもあるのだろう。
さて、ここに「浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓」なるアルバムがある。これは2007年8月にTHINK!RECORDS新シリーズ「VAMOS!和ボッサ」第3弾として発売された紙ジャケットCDでオリジナルは1969年に発表されたもの。「VAMOS!和ボッサ」は一部の熱心なマニアによる、日本の昭和のジャズを見直そうという昨今の密かなブームを追い風とした復刻企画。これまで和製ゲンズブールこと浜口庫之助、そして沢田俊吾、世良譲などのアルバムが同レーベルから紙ジャケット仕様にて発売されているが(同レーベルからはプラケによる昭和ジャズ作品も多数発売)、今回の「浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓」はその言わば番外編というべき資質の物。1969年当時は浅丘ルリ子はシングル「愛の化石」がヒットを記録、また同年ではないが翌1970年発行の週刊平凡パンチ臨時増刊8月1日号には横尾忠則の手によるピンナップ「浅丘ルリ子裸体姿之図」が盛り込まれて好評を博するなど、デビュー15年を迎えて尚、人気が衰えていなかったのが1970年前後の現状であったと言える。
で、そんな時期に発表されたのが「浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓」。私は判らないのであるが、この中の収録曲「シャム猫を抱いて」が今、昭和の歌謡ボッサを追い求めるファンの間で人気沸騰なのだという。どこで人気が再沸騰するのか、本当に判らない。当時の邦楽の常識を覆すジャケットのサイケなデザインを担当したのは日本を代表するグラフィックデザイナーの横尾忠則。1960年代当時は「天井棧敷」の寺山修司や映画監督の大島渚とも親交のあった人で、ロック・ファンにとってはサンタナ「ロータスの伝説」の伝説的なジャケット・デザインで知られる人でもある。「浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓」の作品そのものであるが、内容はよくある昭和歌謡、オケをバックにしたイージーリスニング風のムード歌謡の域を出るものではないが、永久の美人女優・浅丘ルリ子が20代最後に吹き込んだ幻の作品の復刻である事を考えれば、本作の価値は無限大だ。しかも紙ジャケだし。
今回の紙ジャケは見開きジャケットを再現、更に内部にあった当時のピンナップも再現されている。これは芸能生活15周年盤「浅丘ルリ子のすべて~心の裏窓」だけでなく、女優さんが発表したレコード全てに通じる事なのだが、女優さんが吹き込んだレコードには、贔屓目なしに聴き手の心に訴えかえる何かを感じる事がある。女優さんの歌唱力ウンヌンといった次元の話ではなく、アルバムを手にした人の感情を左右してしまう程のオーラを、レコードやCDといった媒体を通しても尚、感じてしまうのだ。だから女優さんのレコードはやめられない。これは日本だけでなく、海外の女優さんのレコードでも当て嵌まる事だけれどもね。流石は女優、舞台やカメラの前を離れてスタジオに入っても尚、彼女達は”女優”なのである。ちなみに某店舗で特典として用意されていた「浅丘ルリ子裸体姿之図」のポストカードは横尾忠則氏のオフィシャル・ウェブサイトのオンラインショップコーナーで購入する事も可能。