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#1185 Stern-Combo Meissen / Weisses Gold (1978)

 2007-09-23
01. Ouverture
02. Der Traum
03. Des Goldes Bann
04. Der Goldmacher
05. Die Flucht
06. Zweifel
07. Die Erkenntnis
08. Weisses Gold

Stern-Combo Meissen / Weisses Gold

1989年のベルリンの壁の崩壊。第二次世界大戦以降の東西冷戦の象徴的存在であった筈のベルリンの壁が民衆によって破壊される様は当時世界中で放映され、大きな反響を呼んだ。簡単に説明すると、第二次世界大戦後、敗戦国のドイツを米英仏ソ連の4ヶ国が分割当時する事になり、西側を米英仏が、東側をソ連がそれぞれ分担で占領、さらにベルリンは4ヶ国で共同統治する事になったものの、資本主義国家側(米英仏)と社会主義側(ソ連)が対立、これによりベルリンは西ベルリンと東ベルリンの2つに分断されてしまう。ベルリンの壁(注:ベルリンは西と東の国境沿いにあった訳ではなく、実際には地理的には東ドイツの真ん中当りにあった)は社会主義統一党の民衆に対する強烈な締め付けに抵抗感を感じた東側の国民が西側に逃げてしまうのを防ぐ目的で建築されたもの。実際に壁(最初は有刺鉄線)は設置されたのは戦後まもなくではなく、1961年からなので、ベルリンの壁の崩壊は28年後という事になるが、それでも、あの壁ぶち壊し映像は本当に衝撃的だった。

一党独裁体制による社会主義国家なんてロクなもんじゃない。そんな国に誰が住みたいと思うだろうか。だが不幸にしてそんな国に生まれてしまった国民は当局の管理下におかれて不自由な生活を送る羽目になる。『堕落した資本主義国家の文化はけがわらしい』。国民を洗脳し続けてずっと統制・管理したい社会国家が自由な発想をベースとした西側発の若者文化を検閲に検閲を重ねたり、あるいは輸入禁止の措置を行っていたであろう事を連想するのは想像に難くない。特に東側からみれば退廃と堕落の象徴みたいなロック・ミュージックなんか尚更だ。若者よ立ち上がれ、なんて歌詞のあるロックなんか当局が許す筈もないだろう。その証拠に社会主義国(或いは極端な軍事政権国家)出身のロック・バンドを取り上げる際、活動当初は当局の検閲や妨害にあって不自由でアンダーグランドな活動を強いられた、という悲しい事実に突き当たるケースが結構多いのだ。今回取り上げるバンド、シュテルン・コンボ・マイセンはどうだったのだろうか。
シュテルン・コンボ・マイセンは1964年に結成されたバンド。最初のアルバム「Stern-Combo Meissen」が発表されたのが1977年だから、最初のアルバムを発表するまで13年を要した事になる。結成当初のメンバーは Martin Schreier(ドラムス、ヴォーカル)、Norbert Jager(キーボード、ヴォーカル)、Bernd Fiedler(ベース、ヴォーカル)、Werner Bertram(サックス)、Gunter Manicke(ギター)、Gottfried Sieber(ギター)、Dieter Schreiber(ギター)。結成当初のバンドの音楽がどんな感じだったのかについては全く知識がないのだが、当時は強硬なスターリン主義者として認知されている時のヴァルター・ウルブリヒト国家元首時代、更にベルリンの壁が建築された時代でもあった。当たり障りのない音楽であった事は容易に想像が付く。バンドはその後も当局の監視を受けながら活動を展開、1977年にようやくアルバム(それもライヴ盤)を発表する訳だが、その間世界のロック・シーンはご承知の様に激動の時代さながらに大きな展開を迎えていた。

ビート・サウンドからサイケデリック・ミュージック、ブルース・ロック、アート・ロック、そして1960年代後半には後にプログレッシヴ・ロックと呼ばれるサウンドが台頭し始めた。彼等シュテルン・コンボ・マイセンが影響を受けたのが、このプログレッシヴ・ロックと呼ばれるジャンルの音楽だ。かつてキース・エマーソンが述べたように、プログレッシヴ・ロックとは黒人のブルースをベースにした音楽ではなく、クラシック音楽をベースにしたクラシック・オリエンテッドなロックを構築したいと願うアーティスト達によって作り上げられた音楽。マクロな意味ではアート・ロックもシンフォニック・ロックもジャズ・ロックもクラウト・ロックも含まれるだろうが、ここではあえてクラシック音楽をベースとしたロックと仮定しておく。西と東が分断されたといっても、ドイツは先の終戦までは元来一つの国だった。また、壁があるといってもそれは物理的な壁や制度上の障壁があったというだけで、実際には西側から流れてくる文化を完全にせき止める事は出来なかった筈だ。

特に音楽。例えばラジオから流れてくる音楽を壁の向こうで完全にせき止める事など出来ない。音楽情報の入手経路は主にインターネットという今の時代とは異なり、以前はロック・ミュージックの情報の主たる入手先はラジオだったからだ。これは米英、そして日本でも同じ事。米英のロックは勿論、近くて遠い隣国、西ドイツのロックは1960年代末を契機に急速に進化を遂げ、クラウト・ロック(若しくはジャーマン・ロック)という言葉がある一つの音楽ジャンルを連想させる程、独自性の高い音楽にまで昇華してしまった程。この動きに東ドイツの若者が感化されない筈はない。例え当局の監視があったとしても若者という種族は刺激的なサブ・カルチャーに興味を抱くものだ。ラジオから流れてくる西側の華麗なロック・ミュージックに東ドイツの若者は大いに刺激を受けた筈である。また、シュテルン・コンボ・マイセンのようなプログレッシヴ・ロック・バンドが国内で持て囃されたのも、元来ドイツという国が音楽史上に残る有名なクラシック音楽の作曲家を数多く排出してきたという歴史的な背景もある。

バロックから古典派の時代にかけてドイツではバッハやベートーヴェン、テレマンが登場、ロマン派の時代にはメンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスが、20世紀にはアイスラー、ヒンデミットといった世界的に有名な人達が登場した事から判る通り、バロックの時代からドイツは世界のクラシック音楽をイタリアやオーストリアと共にリードしてきたという歴史的な背景がある。『クラシック音楽は堅苦しい』、と一般の国民から敬遠されたり、或いはポップ・ミュージックの対極にある物として嫌われる風潮はドイツ国内においては(絶対に無いとは言わないが)弱かった。昔からクラシック音楽が一般の国民から広く愛される存在であったのだ。従って以上の事から、体制を維持したい東ドイツ当局としては、『体制を打破せよ』とか『若者よ、目覚めろ』なんて歌詞のある社会的メッセージを含むポップ・ミュージックはご法度だが、クラシック音楽をベースとする芸術的な価値観の高いプログレッシヴ・ロックなら、と寛容な姿勢を打ち出した側面があった事は想像に難くないのだ。

Hits
「Hits」
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 アーティスト:Stern Combo Meißen
 レーベル:Amiga
 by ええもん屋.com

シュテルン・コンボ・マイセン(Stern-Combo Meisen)がデビュー作を発表したのが1977年(これとは別に1976年のライヴ演奏の模様を収録した「Live」という作品が1996年に発売)。最初の作品「Stern Combo Meisen」はライヴ盤。結成当初にはギタリストも存在していたが、後のキーボード主体のプログレに感化されて、デビュー作発表時点ではギターレスのツイン・キーボード、更に打楽器奏者も2名要するという特殊な編成に落ちついている。彼らの音楽は隣国西ドイツに多くみられたようなアヴァンギャルドな音楽形態ではなく、様式美追求型の所謂シンフォニック・ロック。これなら当局も安心だ。バンドは翌1978年に通算2作目にして初のスタジオ作品「Wiesses Gold」を発表、1979年には「Der Weite Weg」を発表する。この後、小編成の楽団を意味する”コンボ”をバンド名から外して1980年代からはシュテルン・マイセンと改名。バンドは「Reise zum Mittelpunkt des Menschen」(1981年)、「Stundenschlag」(1982年)、「Taufrisch」(1985年)とアルバムを発表し続けていく。

エイジアや '80年代イエスの例を挙げるまでもなく、1980年代以降プログレはポップさを大胆に取り入れてキャッチーな音楽へと進化?していったのだが、これはシュテルン・マイセンにも当て嵌まるようだ。バンドは1987年に「Nachte」を発表するも、この後活動は停滞してしまう。そして衝撃的なドイツ再統一。世界中の歓喜の声とは裏腹に、ドイツ国内では資本主義社会と社会主義社会の経済格差の問題が大きな社会問題となって、統一後のドイツ国内を襲いかかった。統一後のドイツは大赤字に転じ、失業者も増えた。そんな状態ではシュテルン・マイセンとしてもノンビリ音楽に精を出す訳にはいかなかったのだろう。彼等が再び音楽活動を再開するまでには暫く時間を要する事になる。1990年代後半に入り、世のプログレ復活ブームを追い風に受けて彼等も活動を再開。2004年に結成40周年を記念して発表されたベスト盤「40 Jahre Stern-Combo Meisen」では既存の代表曲に加えて新曲も加えられるという、よくありがちな形態が採用された。

さて、「Weisses Gold」は1978年に発表された通算2作目のアルバムだが、デビュー作がライヴだった為、実質的にはこれが最初のスタジオ作品という事になる。収録は全部で8曲。全てメンバーのオリジナル作品だ。18世紀初頭にアウグスト2世の命を受けて白磁の製造に成功した錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーの生涯を描いたトータル・コンセプト・アルバム。メンバーはヴォーカリスト2名(ナレーター含む)、ベーシスト1名、キーボード奏者2名、打楽器奏者2名の計7名編成。バンド名通りのちょっとしたロック・コンボである。ユーロ・ロック・ファンには昔から比較的よく知られた存在で、日本でもかつて「錬金術師の物語」の邦題で国内販売された事もあった。1978年の時点で、直球一本槍ともいえる様式美追求型の王道シンフォニック・ロック。ロック先進諸国の米英では既にすたれつつあるロック・スタイルの一つであったが、秘密警察によって国民の監視が徹底されていた国にしてみれば、これでも立派な最先端の若者文化の一つでもあった筈である。

分断された国家の片割れとはいえ、クラシック音楽に関してはドイツは米英の歴史を遥かに凌駕する。クラシック音楽は勿論のこと、クラシック・オリエンテッドな音楽を演じるにしても、ゲルマン民族ならではの負けん気とプライドが発揮されたに違いない。当時既に西側諸国では廃れつつあった、正攻法なクラシカル・シンフォ・スタイルで勝負を挑んだのも、この分野では西側に負けないぞ、という強い対抗意識が働いたであろう事は容易に想像がつく。とはいえ、この1978年時点に西側諸国のプログレを思う存分聴いてきた方にとっては、「Weisses Gold」の音楽はとりたてて新しい方向性を見出せるものではないのだが、歴史的背景という点を抜きにして見れば、「Weisses Gold」はシンフォニック・ロック作品としてはなかなかの傑作の部類に属する出来と評価していい。ツイン・キーボード体制による大袈裟なシンフォ・サウンドはブリティッシュ・プログレ、特にELP当りから強く影響を受けたのであろう。

ベルリン国立音楽大学の管弦楽団を導入しているが、これなんぞELP「Works, Vol.1」のオケ・ヴァージョンを強く連想させる。荘厳で幻想的なアレンジはまるでELPにピーガブ時代のジェネシスを加えたような色彩を誇る。テクニカルでダイナミックなバックの演奏と生オケの演奏の融合の合間に登場する、ドイツ語のテキストによるヴォーカルには誰もがグレッグ・レイクを連想するだろう。共産圏のロック、東欧のロックによくありがちな悲壮感や幻想性がシンフォニック・ロック・スタイルを得意としたバンドの音楽的方向性やコンセプト・アルバムの形式を採用した「Weisses Gold」のテーマと見事なまでに合致した。彼等にとっては初めてのスタジオ作品であるにも関わらず、特にシンフォニーの使い方に秀でた耽美な側面を感じたのだが、上でも触れたようにシンフォニーの使い方に関しては、米英の出る幕ではないのだ。当時の世相を考えればスタジオの録音作業も困難を極めたとは思うが、そんな状況下からこんな力作を完成させた当時のメンバーは素直に賞賛を声を差し伸べたい。

1970年代の共産圏から排出された音楽作品だけにロックのリズム感覚は(この時点では)余り感じられず、更に遊び心というか、余裕の余り感じられない生真面目な音楽である印象の強い作品であるが、ヨーロ・コロックのコレクターなら本作は避けて通れまい。

監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆
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コメント
私はこの作品大好きです。
中途半端にならざるを得ない中で、コレだけの美しさを保てたと言うのはおっしゃるとおり彼らの実力だと思います。
抑圧的な中で生まれたこれまた奇跡に近い1枚でしょうか・・・まずこの作品を聴いてから以前私の書いた’81年作の”Reise zum Mittelpunkt des Menschen”を聴くとおもしろいかも・・・ですね。
【2007/09/23 17:49】 | evergreen #lHI8H0U6 | [edit]
コメントありがとうございます。当局から常時監視される国の中から、このような素晴らしい音楽が生み出された事実を知るに、音楽には素晴らしい力が宿っていると感じます。恐らく彼等のような芸術性の高いロック・バンドは当局からは認められていたとは思いますが。
【2007/09/23 18:55】 | Cottonwoodhill #- | [edit]












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【2007/09/23 17:50】
  • Stern Combo Meissen【Progressive Cafe】
    ~ プログレバンドしりとり合戦 #31 ~・投稿コメント (もあさん)ドイツつながりということで。といってもこのグループは旧東ドイツ出身ですけど。日本盤LPもリリースされたことがありますね。のちにStern Meissenと改名し、いまも活動中?らしい。・補足旧東ドイツの
【2007/10/05 11:43】
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