#1282 Nice / Nice (1969)
02. Hang On to a Dream
03. Diary of an Empty Day
04. For Example
05. Rondo '69'
06. She Belongs to Me
07. Hang On to a Dream [Single A-Side]
08. Diary of an Empty Day [Single B-Side]

今でも通用する言葉がどうかは知らないが、エマーソン・レイク&パーマー(EL&P)、イエス、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ジェネシス、以上5つのバンドを通称”プログレッシヴ・ロックの5大バンド”と呼んだりする。もしかするとこの呼称に反応する人は1970年代に青春時代を過ごした昭和30年代生まれの世代の人だけかもしれない。この世代以降の人は、これら5大バンドよりもマリリオンやペンドラゴンなどのポンプ・ロックの方が大事かもしれないし、この世代以前の人ならムーディー・ブルースはどうした、プロコル・ハルムもいれろ、などと”5大バンド”の選出に苦言を入れてくるかもしれないからだ。さて、この”5大バンド”の解釈の話はさておき、今回は・ザ・ナイスの話。言わずもがな、イギリスのプログレッシヴ・ロックの歴史を語る際に欠かす事の出来ない存在であるキーボード奏者のキース・エマーソンがかつて在籍していたバンドとしても知られている。
ナイスは1967年に活動を開始したイギリスのロック・バンドだが、実は元はと言えばアメリカの黒人歌手P.P.アーノルドのバック・バンドとして活動を買開始したのがそもそもの始まり。P.P.アーノルドのアルバム・レビューは過去に取り上げているので彼女に対する足跡などはそちらを参照して欲しいのだが、アイク&ティナ・ターナーのバック・コーラスの一人として渡英してきたP.P.アーノルドの才能に惚れたアンドリュー・ルーグ・オールダムが彼女のソロ活動を画策、その為に必要となったのがバック・バンドでそれがザ・ナイスだったという訳だ。1944年、英ランカシャー州トドモーデン出身のキース・エマーソンはアマチュア・バンドでの活動を経て(既にアマチュア時代の内からクラシック音楽やジャズに精通していた)、ロンドンのゲイリー・ファー&T・ボーンズに参加。このバンドでの活動がキース・エマーソンのプロとしての第一歩という事になる。ちなみにこのバンドには後にナイスで活動を共にするベーシストのリー・ジャクソンも在籍していた。
最初のレコードはシングル「The Thoughts of Emerlist Davjack / Azrial」で、1967年11月に発表されている。翌1968年早々には最初の記念すべき「The Thoughts of Emerlist Davjack」(邦題:ナイスの思想)が登場。ここではギタリストを含んだ月並みな4人編成。時代背景を背に受けたブリティッシュ・サイケな楽曲やブルース・ロック調のメロディに混じって、後のエマーソン・レイク&パーマーを彷彿とさせるエキスが随所に垣間見て取れるのが興味深い。特に初期ナイスの定番曲でレナード・バーンスタインのカバー曲「America」でのキース・エマーソンの演奏には誰もが後のエマーソン・レイク&パーマー路線を連想するだろう。ギターは邪魔だけどね。同年早くも「Ars Longa Vita Brevis」(邦題:少年易老学難成)を発表するが、デビッド・オリストが抜けてしまった為、ギターレスのベース、ドラムス、キーボードのトリオ編成によって制作された。そう、後のギターレス構成のエマーソン・レイク&パーマーに先んじて、ここでトリオ編成が完成したのである。
トリオ編成となったナイスは1969年夏には「Nice」(米タイトルは「Everything as Nice as Mother Makes It」でジャケも異なる)を発表。これはスタジオ録音と米フィルモア・イーストでのライヴ録音を含んだ変則の新作として発表された。この後、彼等が所属していたアンドリュー・ルーグ・オールダムのイミディエイトの経営が悪化、当時ナイスがマネージメント契約を結んでいたトニー・ストラットン=スミスが自身のレーベル、カリスマを立ち上げた事を契機に彼等ナイスもイミディエイトからカリスマに移籍。1970年には新作「Five Bridges」が発表されるも、既にこの時点でキース・エマーソンと他の2人の間には音楽的相違という大きな溝が発生していたのだという。ちなみにキース・エマーソンは後のエマーソン・レイク&パーマーのスタジオ作品やツアーでオーケストラとの競演を実現させているが(結果はご存知の通り大赤字)、1970年のナイスの作品で一部ではあるが既に実現に漕ぎ着けているのが興味深い。
1969年末から1970年にかけて、キング・クリムゾンのヴォーカリスト/ベーシストのグレッグ・レイクとの交渉の結果、共にバンドを抜けて新バンドを結成する事を決断、更に当時アトミック・ルースターに在籍していた若きドラマー、カール・パーマーの才能に目を付けた2人が彼をスカウト、こうしてスーパー・グループ、エマーソン・レイク&パーマーが出来上がった。一説には3人の他にジミ・ヘンドリックスを招き入れて4人編成にするとか、オケを大胆に導入するといったアイデアもあったそうだが、いずれも実現には漕ぎ着けてはいない。こうして出来上がったスーパー・グループを前にナイスの残党としてはどうする事も出来ぬ状態。必然的にナイスは解散というお決まりのコースを歩む事になる。元メンバーの一人、リー・ジャクソンはフォーク・ロックとジャズを融合させたジャクソン・ハイツというバンドを結成、カリスマから「King Progress」を1970年に発表した後に、ヴァーティゴに移籍して1973年に解散するまで活動を継続させた(「Bump 'n' Grind」の紙ジャケ希望します)。
また、残る一人、ドラマーのブライアン・デヴィソンは元スキップ・ビファティのグレアム・ベルをリード・ヴォーカリストとしたエヴリ・ウィッチ・ウェイを結成、1970年に「Every Which Way」を発表するも、これ1作を最後に解散を遂げてしまう。また、1971年にはナイス解散1周年を記念して「Elegy」という作品がカリスマから発表された(米ではマーキュリー)。ジャケットはヒプノシスが担当したが、音源は1969年から1970年までのスタジオ録音やライヴ録音を収録したした混合盤で、今で言うなら解散前の音源を集めたアーカイブ盤といった類の代物。この後、リー・ジャクソンとブライアン・デヴィソンはナイス復活を企ててキース・エマーソンの代役に元メインホースのメンバーでスイス人キーボード奏者のパトリック・モラーツに白羽の矢を当ててレフュジーを結成、アルバムも「Refugee」を1974年に発表するが、リック・ウェイクマンの抜けた穴の代役を探していたイエスにパトリック・モラーツに引き抜かれてレフュジーも解散。ああ、哀れ。




■ Lee Jackson - Vocals, Guitar, Bass
■ Brian Davidson - Drums, Percussion
■ Keith Emerson - Keyboards
こういう大物バンドを取り上げると話が横道に逸れてばかりで仕方がない。今回紹介する「Nice」は1969年に発表された、ナイス通算3作目の作品。邦題は”ジャズ+クラシック÷ロック=ナイス”。(ジャズ+クラシック)÷ロックじゃないのか、といった突っ込みは後にして、後のエマーソン・レイク&パーマーに引き継がれるサウンドの一旦が堪能出来る作品としてもお馴染み。エマーソン・レイク&パーマーはキング・クリムゾンやイエス、ジェネシス、ピンク・フロイドよりもデビューが遅いが、キース・エマーソンはキング・クリムゾンやイエス、ジェネシスの連中よりも先にナイスのメンバーとして人気者になっていたし、ピンク・フロイドが初期の頃はサイケやっていた事を考慮に入れれば、ナイスこそがいち早くプログレシッヴ・ロックなるジャンルの音楽を世に放っていたと言っても過言ではないだろう。なのに低評価。ナイスもそうだし、EL&Pにしてもそうだ。日に日に下がる(と感じる)彼等の評価。一体何故なんだい。
本作はナイスの通算3作目にしてイミディエイト在籍最後の作品。キース・エマーソンがEL&P結成以前に参加していたバンドという崩し難い事実ばかりに注目が集まるが、実際には他人の曲をカバーしたり、リー・ジャクソンやブライアン・デヴィソンも曲作りに参加したりとキース・エマーソン以外の2人の音楽性もナイスの音楽には投影されている。まあ、もっともキース・エマーソンにしてみれば、その2人の音楽性が性に合わなくてバンドを抜けてしまったのだから、キース・エマーソン以外の2人の音楽性に注目するのも正直複雑な気持ちに陥ってしまう。そんな事を頭に入れておきながら個別の曲に触れてみる。「Azrael Revisited」はキース・エマーソン&リー・ジャクソン曲。デビュー・シングルのB面に収録されていた「Azrial (Angel of Death)」の再録。踊るようなアクセントが特徴のハード・ロック仕立ての一品。ギターレスのバンドのなのでリード・ギタリストの代わりに”リード・キーボード奏者”こと、キース・エマーソンの鍵盤楽器が炸裂する。曲の後半ではラテン仕立て。
「Hang On to a Dream」はティム・ハーディンのカバー。ティム・ハーディンは1960年代の前半、NYグリニッチ・ビレッジでボブ・ディランやフィル・オクス、ジョーン・バエズ、フレッド・ニールらと当地のフォーク・シーンを形成していた人。ロック・アンサンブルにオケを入れたがるキース・エマーソンがフォーク・ミュージック? いや、ティム・ハーディン自体がフォークだけでなくジャズの素養をも兼ね備えていた人だからね。ティム・ハーディンは1960年代後半の時点で既にジャズ系ミュージシャンを参加させて、自らのソロ作でフォークとジャズの融合を図ってきた人。なので当時のナイスがティム・ハーディンに注目したとしてもなんら不思議ではないのだ。本作でキース・エマーソンはクラシカルなフレーズからジャジーな演奏まで巧みに披露。もう、この段階で後のEL&Pにおけるクラシカル路線が充分に予感出来る程。「Diary of an Empty Day」はキース・エマーソン&リー・ジャクソン作。ハード・ロックともプログレともつかぬ路線の曲。ハード・ロックとプログレが完全に枝分かれしていない時代ならではの未消化な楽曲と言えるだろうが、個人的には好きな曲。
「For Example」もキース・エマーソン&リー・ジャクソン作。冒頭からしてイキナリのEL&P節。ブラス・アンサンブルが導入されてブラス・ロック、若しくはジャズ・ロック染みた曲調が展開される当りでEL&P節とは少々離れていくが、それにしても手数の多いブライアン・デヴィソンの演奏能力も流石。カール・パーマーにも負けていないと思う。中間部分からのブルース・ロック風の展開も面白いが、ギターの代わりをキーボード奏者のキース・エマーソンが代役するという構成はEL&Pのファンならお馴染みの手法。終盤にかけての怒涛の演奏も見事。1969年の英ロックを代表する名演奏・名曲の一つと数えてもなんら差し支えあるまい。「Rondo '69'」はライヴ。ニューヨークのフィルモア・イーストでの演奏から。キース・エマーソンお得意のロンドが炸裂する名演奏。観客にはサイケだのフラワーだと言った浮世離れしていた空気感を今だ味わっていた人は沢山いただろう。そんな人にはナイスの「Rondo '69'」はまるで異次元の音楽、次世代の音楽として聴こえた筈。リー・ジャクソンのベースもブライアン・デヴィソンのドラミングも正直凄過ぎ。
エンディング「She Belongs to Me」はボブ・ディランのカバー。これもフィルモア・イーストでの演奏から。オリジナルは1965年発表の「Bringing It All Back Home」収録曲。これまでグレイトフル・デッド、フライング・ブリトウ・ブラザーズ、レオン・ラッセル、リッキー・ネルソン、更にハリー・コニック・Jrといった人達がカバーしてきたが、アイデアと奇抜さという点ではナイスの右に出る存在は恐らくはあるまい。オリジナルは3分にも満たない小曲だが、ナイスはインプロヴィゼイションを交えて12分もの大作にアレンジしてみせた。当時の観客が度肝を抜かれた姿を想像するのは想像に難くない。選曲は多分にアメリカの観客を意識したものと思えるのだが、アメリカのポップス/ロック・ファンが充分に勝手知ったるボブ・ディランの有名作の中の収録曲をここまで大胆かつアグレッシヴにアレンジしてみせた初めて姿を当時のフィルモア・イーストは充分に堪能したに違いない。なお、CDにはボートラ2曲追加収録。「Hang On to a Dream」「Diary of an Empty Day」のシングル・ヴァージョンが収録されている。
アート・ロックがプログレへと移り代わる変遷の様子を確認するにはもってこいの例。大袈裟なシンセサイザーが導入されていないだけでキース・エマーソンの演奏スタイルの基盤はこのナイス時代に既に確立されている事が明快に理解できよう。
Official Keith Emerson Website
The OFFICIAL ELP Global Web Site
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