#1433 Little Richard / The Second Coming (1972)
2. Second Line
3. It Ain't What You Do It's the Way How You Do It
4. The Saints
5. Nuki Suki
6. Rockin' Rockin' Boogie
7. Prophet of Peace
8. Thomasine
9. Sanctified Satisfied Toetapper

本名、リチャード・ウェイン・ペニマン(Richard Wayne Penniman)。1932年12月、米ジョージア州メイコンの生まれ。両親はアフリカ系アメリカ人。「ローリング・ストーン(誌)の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」ランキングに於いて第12位。1986年にロックの殿堂入りを果たす。男性同性愛者、いわゆるゲイ。ロックンロールの創始者の一人。彼の名前はリトル・リチャード(Little Richard)。「Tutti Frutti」「Long Tall Sally」「Jenny, Jenny」といったヒットで知られる、米R&B/ロックンロールの歴史上、重要な人物の一人である。個人的な話で恐縮ですが、リトル・リチャード、そしてチャック・ベリーやボー・ディドリーといった、黒人ロックンロール歌手の存在や彼等の曲を最初に知ったキッカケは、私の場合ビートルズやローリング・ストーンズ、アニマルズといった、所謂(第一次)ブリティッシュ・インヴェイジョンのカテゴリーに属する連中の音楽を通じてだった。
黒人音楽に深い憧憬を持つローリング・ストーンズやアニマルズ、ヤードバーズ、キンクスは勿論の事、ビートルズも初期の頃にはR&Bやロックンロール・ナンバーを好んで取り上げている。クッキーズ、シュレルズ、アイズレー・ブラザーズ、マーヴェレッツ、チャック・ベリー、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、バレット・ストロング、バディ・ホリー、カール・パーキンス、バック・オーウェンズ、ラリー・ウィリアムズ、ウィルバート・ハリスン等々。こうして見ると多分にポール・マッカートニーやリンゴ・スターの個人的な趣味が感じられる曲もあるが、私の場合、こうした人達の名前はビートルズやローリング・ストーンズのカバー・バージョンを通じて知ったのだった。さて、リトル・リチャード。ビートルズもリトル・リチャードの曲を取り上げている。のっぽのサリーの邦題でも知られる「Long Tall Sally」。パット・ブーンやエルヴィス・プレスリー、キンクスもカバーしているが、最も有名なカバーはビートルズ・バージョンだろう。
「Long Tall Sally」はビートルズ初期の頃はステージでもよく演奏された、ビートルズお気に入りのナンバー、というよりもポール・マッカートニーのお気に入りのナンバーだ。そもそもポール・マッカートニー自体、リトル・リチャードからの影響を多分に感じさせるし、ロックンロール・ナンバーでシャウトするポールの歌い方はリトル・リチャードのそれとよく似ている。ビートルズ解散後もポール・マッカートニーは今日に至るまで「Long Tall Sally」を歌っているし、後のソロ・アルバム「Снова в СССР」(1988年)ではリトル・リチャードの「Lucille」まで取り上げている。ちなみにジョン・レノンもソロ・アルバム「Rock 'n' Roll」(1975年)で、 リトル・リチャードの「Rip It Up / Ready Teddy」をカバーしている。これまで、多くの白人歌手たちにカバーされてきたリトル・リチャードであるが、彼の音楽人生は、彼の同世代の黒人歌手同様、順風満帆という訳にはいかなかった。リトル・リチャードの祖父はキリスト教宗派の牧師だったそうだが、逮捕歴のある父親の影響もあって、リトル・リチャード自身も決して優等生とは言えない子供時代を送っていたという。
黒人、しかも彼はゲイ。時代は1940年代や1950年代の話だ。彼に対する逆風は相当なものがあったに違いない。ただし、若き日のリトル・リチャードには音楽の才能があった。実家から勘当同様で追い出されたリチャード少年は仕事をしながらミュージシャンとして生活するようになり、オーディション番組出演を経て、ジョニー・オーティスの推薦を経て1950年代の前半に RCA Victor(当時)から数枚のシングルを発表している。この時代のシングルには「Taxi Blues / Every Hour」「Thinkin' 'Bout My Mother / Get Rich Quick」「Ain't Nothin' Happenin' / Why Did You Leave Me?」「Please Have Mercy on Me / I Brought It All on Myself」などがある。ただ、どれもヒットせず、再び下積み時代へと舞い戻り。そんな彼に転機が訪れたのは1955年。シングル不発の時代にもめげずにデモ音源をせっせとレコード会社に送っていた彼の才能に目をつけたのが Art Rupe によって1944年に設立されたレーベル、Specialty Records(現コンコード系列)。
1955年、シングル「Tutti-Frutti / I'm Just a Lonely Guy」を発表。このシングルは大当たり。リトル・リチャードは一躍時代の寵児となる。この後、1958年位までの間に、「Heeby-Jeebies」「Long Tall Sally」「Ready Teddy」「Rip It Up」「She's Got It」「Slippin' And Slidin' (Peepin' And Hidin')」「All Around The World」「Jenny, Jenny」「Keep A Knockin'」「Lucille」「Miss Ann」「Send Me Some Lovin'」「The Girl Can't Help It」「Baby Face」「Good Golly, Miss Molly」「Ooh! My Soul」「True, Fine Mama」といったヒット・シングルを連発する。アルバム「Here's Little Richard」もヒットを記録した。フランク・タシュリン監督作品でジェーン・マンスフィールドも出演した『女はそれを我慢できない』(1956年)にも出演した。エネルギッシュなヴォーカルと派手なピアノ演奏。時の若者を大いに魅了したリトル・リチャードだったが、1957年の終盤、なんと彼は引退宣言をして音楽業界から足を洗ってしまう。
■ Little Richard - Vocal , Piano, Electric Piano [Emi], Clavichord
■ Sneaky Pete Kleinow - Pedal Slide Guitar
■ Chuck Rainey - Electric Bass
■ Earl Palmer - Drums
■ Jim Horn - Baritone Saxophone
■ Bill Hemmons - Tenor Saxophone
■ Lee Allen - Tenor Saxophone
■ R.A. "Bumps" Blackwell - Arranged
※ Electric Guitar – Adolph Jacobs, David T. Walker, George Davis, Mike Deasey
理由は神の啓示を受けたとの事で、神学校に入学して牧師を目指す事となった。血は争えない、という事だったのであろうか。宗教家時代にはそれまでの自分のロックンロール人生を否定して、教会でゴスペルなんぞを歌っていたそうだが、1962年に再び商業音楽シーンに復帰。ただ、人気絶頂の時代に引退してしまったハンデを挽回する事は難しく、復帰後の1960年代では「Bama Lama Bama Loo」「I Don't Know What You've Got But It's Got Me - Part I」「Poor Dog (Who Can't Wag His Own Tail)」といった曲がミニ・ヒットを記録する程度。アルバムもベスト盤「Little Richard's Greatest Hits」がヒットを記録する程度だった。1962年の復帰後も再度引退したり、ゴスペルの世界に戻るなど、紆余曲折の音楽人生を送っていく。1970年代の中頃にはアルコール依存症やヘロイン、コカインなどによる薬物中毒にも苦しんだ。そんな人生だったが、1986年にはロックの殿堂の記念すべき第一回パフォーマー部門でチャック・ベリー、ジェームズ・ブラウン、レイ・チャールズ、サム・クック、ファッツ・ドミノらと共に名誉を勝ち取った。
さて、本作のタイトルは「The Second Coming」。1972年のアルバムだ。1960年代の終盤に再び失速した後、リトル・リチャードはフランク・シナトラとワーナー・ブラザーズ・レコードの共同出資で設立された事でも知られるリプリーズ・レコードと契約を結んで1970年の「The Rill Thing」で再び音楽シーンに舞い戻る。そのリトル・リチャードが「King of Rock and Roll」「Southern Child」といったアルバムを経て発表したのが、「The Second Coming」である。ちなみに「The Second Coming」とは”キリストの再臨”という意味。アイルランドの詩人/劇作家、ウィリアム・バトラー・イェイツの詩「再生 The Second Coming」をも指す。キリストの復活/再生と自分自身の復活をヒッカけて、この様な意味深なタイトルにしたのだろう。プロデュースはリトル・リチャード自身とロバート・ブラックウェル。オリジナル盤はリプリーズより。なお、CDはコレクターズ諸氏にはお馴染みの復刻系レーベル、Collectors' Choice Music。
1960年代から1970年代にかけて、ブルースやR&B、ロックンロールなどのジャンルに属する多くの黒人ミュージシャンがロックやポップス系のレーベルと契約を結んで、ロック系のサウンドや或いはファンク色の強いアルバムを発表しているが、御多分に漏れず、このリトル・リチャードもしかり、という訳で当時の風潮を意識した、時に軽いノリのホワイト・ソウル風のサウンド、時にファンク色の強い作風を披露している。ジム・ホーン、スニーキー・ピート・クレイノウ(フライング・ブリトウ・ブラザーズ)、デイヴィッド・T・ウォーカー、ジョージ・デイヴィス、リー・アレン、チャック・レイニー、アール・パーマーといった、幅広いジャンルの作品で活躍してきた演奏家達に支えられた、安心して聴く事の出来る内容に仕上がっているのが特徴だ。キーとなる言葉を繰り返す独特のエネルギッシュな歌唱スタイルは健在なものの、曲によってはジェームス・ブラウンみたいなファンク・サウンドも披露してくれている。
「Mockinbird Sally」はかつての「Lucille」みたいなロックンロール・ナンバーだが、続くブラックウェルとの共作「Second Line」ではジェームス・ブラウンを彷彿とさせるファンク・サウンドを披露。「It Ain't What You Do, It's The Way How You Do It」「The Saints」「Nuki Suki」でも同様のファンク寄りのサウンド展開。旧アナログB面の冒頭曲は「Rockin' Rockin' Boogie」。ロックンロール&ブギな基本サウンドを本作のコンセプトでもある、ソウル/ファンクな味付けでアレンジ済み。「Prophet Of Peace」「Thomasine」「Sanctified, Satisfied Toe-Tapper」でも同様だ。ロックンロールのオリジネイターの1人としても有名なリトル・リチャードだが、本作ではそうした過去の自分のカラーに拘らず、ソウル/ファンク寄りのサウンドをかなり大胆に展開している。妙に小奇麗で洗練されたアレンジも気になるが、これは黒人マーケットよりも白人マーケットでの成功を意識した結果なのだろう。ピュア・ブラック・ミュージック・ファンはこうした作品は低評価を下すでしょうけれども。
Little Richard (LITTLE RICHARD OFFICIAL MYSPACE PAGE)
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